『轟く雷 メディスン・マン ローリング・サンダーの気づき』
あとがき全文
あとがき
この物語は、私がかれこれ十五年ぐらい前に会った老人が発端の物語である。
しかし、これはその老人の自叙伝的なものでは無い事をお断りしておく。
あくまでもフィクションである。たぶん。
なぜ、たぶんなのか。それは、この物語が老人に会った時に、頭の中に湧いてきたものだからだ。まるでその老人から送られてきたように。
したがって、私自身が、ストーリーを考えたり、展開を考えたりという作業をしていないに等しい。そこにあるものを、活字の形に直していったに過ぎないのだ。
じつは、最初に書き始めたのは、彼に会って、日本に帰ってきて、わりと直ぐの事だった。
半分ぐらいを一気に書き上げて、その後放ってあったのだ。
最近になって、あれを書け、早く書けと、老人がやってきてせかしているような気がして、残りを一気に書き上げてしまった。
きっかけは、カナダのインディアンとしばらく暮らしていた青年が現れたせいかもしれない。
彼が私の前に、インディアン的世界を運んできたのだ。
忘れかけていた何かが反応して、頭の中に依然としてあったこの物語を、表に出す時が来たと告げていたのだ。
この老人は実在した人物なので、彼の事を知っている人には、すぐにそれと分かるように書いてある。
それでも、私は、この物語の裏を取る事ができないので、どこまでが事実で実際にあった事で、どこまでがフィクションなのか、さっぱりわからないのだ。
ただ、彼に関する研究本等が有るので、興味の有る方は読んでみる事をお勧めする。
私の書いたこの本は、インディアンの持つ世界観を描いた物語であるが、ヴィジョン・クエストのハウトゥー本として読まれても良いかもしれない。
しかし、彼等四人に起きたような劇的な事をあまり期待しないほうが良いと思う。
それは、インディアンの呪術的世界に通じているし、その事で怖い思いをする事になるかも知れないからね。実際、ヴィジョン・クエストの最中に気が狂ってしまった人がいるのだ。
だから、もしそのつもりで山に入る時は、〝轟く雷〟のような、その世界に通じてる人にサポートをお願いするべきだと思う。
私が実際に会った彼の事を話そう。
彼はメディスン・マンと呼ばれる、インディアンにとっての医者であり、部族の伝統的な儀式に通じた人であり、相談役であり、スポークスマンだった。
私は彼の家で、電話番をしたり、食事を作ったり、客をもてなしたり、犬の世話をしたり、おもに彼の車いすを押したりするのが私の役目だった。
彼の家に泊めてもらう代わりに、雑用係りをやっていたのだ。
私が会った時、彼は確か七十二か三歳ぐらいだったと思う。
奥さんには先立たれ、子供達も皆独立して出て行ってしまい、右脚の膝から下と左脚の指全部も失っていた。
彼は二匹の犬と、部族の方から彼の面倒を見るようにと雇われたアラブ系アメリカ人とで暮らしていた。
しかし、世界中から、彼に会うために、その家に人が来ていたので、彼が一人きりになる事はなかったと思う。
彼はそうした人達が泊まれるようにと、彼の家の向かい側の雑木林にキャンピングカーを何台も用意していた。
彼は本当に与えられるものは何でも与えてしまう人で、そのサービス精神の旺盛さには、脱帽だった。
彼の家は入り口から入った所が客間になっていてキッチンを挟んで奥の部屋が彼の寝室になっていた。彼はその寝室の中にしかプライベート空間を持っていなかった。
彼はその寝室からキッチンを通ってゲストの待つ客間へと行くのだが、キッチンを出ると彼はメディスン・マンになるのだ。
彼はメディスン・マンとしての彼に皆が会いたがっているのを良くわかっていたので、まるで舞台に出て行く役者のように、キッチンから客間へと出て行くのだった。
しかし、キッチンよりこっちで見る彼は、まったく普通のおじいちゃんであり、雷親父であり、だだっ子であったりするのだ。
彼がどうして私にたいして、そこまで無防備に振る舞っていたのかはわからないけど、私はメディスン・マンとしての彼よりも、普段の彼が好きだったな。
彼に病気を治してほしいという人もよくやって来るのだが、彼は三日ぐらい待たせたあげく、やっとメディスンを行うのだけど、殆どの場合、彼はかたちだけの儀式をしておしまいにしてしまう。
私がそんな様子を見ていると、「どうだ、ちょろいもんだろ」って感じの目配せをよこしたりするのだ。
しかし、彼はいいかげんな詐欺師では、断じてない。
彼は三日間、彼等を彼の家に通わせて、その間、治療してほしいという人達の様子を観察している。
そして、その病の状態を判断して、治療を開始するのだ。
殆どの場合、彼等はその病を大事そうに抱えている。
彼はそうした人達にたいしては、かたちばかりの儀式を行うのだ。
「なぜなら、彼等は治そうと本気で思っているわけではないからだ。
彼等が、その自分の病気だと称するものを、手放そうとしていないのに、どうしてわしが治せるかね」
この老人の観察力には、やはり並はずれたものがあった。
一度、脚が悪くてびっこを引いてやって来た、三十歳ぐらいの青年に彼は「治療を引き受けても良いかどうか決めるのに、三日ぐらいほしい」と言って、青年を家に通わせた。
彼は、青年が来ると、決まってきつい肉体労働をさせるのだ。
一度見るに見かねて、彼が手押し車を押すのを代わってあげようと、踏み出したそのとたんに腕をつかまれて止められた事があった。
「しかし」と言いながら振り返ると、そんな私に
「いいから、よく見ていなさい」
と言うので、その青年の脚の様子を見てみた。
彼のその悪いはずの左脚は、一輪車の手押し車を押して歩くには支障をきたさない程度には力が入っているようだった。
ただ、必死な顔を見ていると、なんだかいじめているような気がして、いやだった。
「いいかね、彼は見ての通り、日常生活においては何の不自由がないほどに、彼の脚には力が入るのだ。
彼がなぜびっこを引くのかわかるかね?
それは、彼が脚をかばっているだけなのだ。
痛かった時の記憶が脚の上に張り付いてとれないのだ。
彼は自分の脳みそにだまされているのだよ」
なるほど、そうかも知れない。
その青年は来る日も来る日も、きつい労働をさせられて、いっこうに治療はしてもらえなかった。
それと、不思議だったのは、例えば私が彼に聞きたい事があって、頭の中で英語を組み立てていると、まだ口に出していないのに、その質問に答え始めるという事が何回もあったことだ。
それから、必要な時に、必要な人がやって来る事だった。
例えば雨漏りがした事があって、次の日の朝、彼は私に、今日屋根を直しに青年が来るからと言うのだ。
そして昼頃、一人の青年がいつものゲストと同じようにやって来た。
私は彼の応対に出て、来訪の目的をきくと、「近くを通りかかった時、彼がこの辺に住んでいる事を思い出して来てみたんだ。本を読んで一度会ってみたいと思っていたから」と言う。
勿論電話によるアポイントは無しだ。
老人にその事を告げると、「彼に屋根の修理をまかせるといい。きっと得意だからな」って、彼はただ本を読んで会いに来た人で、修理屋さんじゃないんだけどなぁ、等と思いつつも、「彼はあなたに会えるかどうか、まだ、決めていないので、明日も来てみて下さい。ところで、ちょっと困っているんですが、昨日雨漏りがして……」そこまで言ったら、その青年がかぶせるように「屋根の修理ならまかせてよ。ついこのあいだまで、それを仕事にしてたんだから。今はその仕事でためた金を持って、西から東へとゆっくり旅をしてる最中なんだ」だって。
どう思う?
彼は屋根にあがって見てくると、必要な材料をメモして、あとどんな道具が家にあるかチェックしたりすると、世話係のアラブ人と隣の町へ買いだしに出かけ、てきぱきと、その日、陽が沈む前には直し終えていた。
彼はその労働が認められて、その日の夕飯を、老人と一緒に食べられたのだった。
そんな事が日常茶飯事に起きていた。
また、老人はいろんな儀式に参加させてくれたり、薬草の摘み方を教えてくれたりと、いろんな事を惜しげもなく教えてくれた。
夕飯の後や、昼下がりの気持ちの良い午後等には庭に出て、彼が若い頃にやった武勇伝の数々を話してくれた。
今回の物語の中にも、その時に聞いた武勇伝のいくつかは入っている。
そうそう、彼の話を聞く時には一つのルールがあって、彼が話の区切りに「ホウッ!」って言ったら、すかさず「ホウッ!」って返さなければならない。
ぼうっとしてると返しそびれて、睨まれたりする。
話をちゃんと聞いていないと「ホウッ!」って言うタイミングが分からないから、返しそびれてしまうのだ。緊張感があって面白かったのを覚えている。
日常生活の中でも、彼は指図した後や、会話のあとで「ホウッ!」と言う事があるから、自然と彼が話し始めると真剣に耳を傾けるようになる。
良くできたルールだった。「ホウッ!」の意味は「分かったか?」「はい」って感じが一番近いかな。
彼の住んでいたその家は、砂漠の中にある小さな町の、一番はじっこにあって、彼の家の庭先からは砂漠が続いていて、その向こうには山が見えていた。家から五百メートルぐらいのところには鉄道が走っていた。
しかし、彼の家の回りだけは雑木林があり、庭は様々な植物で覆われていた。
彼は、土を肥やすために、庭に穴を掘って、そこに生ゴミを捨てるように指示していた。
彼の努力によってその辺りの植物は生きていたのがよく分かる。
彼が死んでしまった今、あそこがどうなってしまったのか、よく気に掛かるのだ。
最近は特に、頻繁に気に掛かるのだ。
どうも、老人が見に行く事をせかしているような気がする。
この物語を完成させたら、あの砂漠の町へ行ってみるのが、次の私の役目のようだ。
老人とは十五年間離れて暮らしているし、亡くなった事も風の噂で耳にした程度だが時々一緒にいるような気がする事がある。
というよりは、離れて暮らしているという実感がない。
私の目の前にはいないけれど、隣の部屋でくつろいで居るのを知っているというような感覚だと言えば分かって頂けるだろうか。
同じ家の中に居るのだ。
ただ、洗面所やトイレなどで、ばったり会うこともなく、テーブルの上に彼の分の食事が並ぶ事もない。
けれど時々やって来ては、しばらく一緒に暮らしている。
そんな感覚だ。
私は彼が、必要な時に必要な人を呼び寄せると書いた。
私は彼にとって、何をするために呼び寄せられたのだろうと考えるのだが、一番納得いく答えは、この物語を書かせるためだったというものだ。
既に彼の名前が題名になっている本が出ているが、彼がよく言っていたのは、「あれはわしの本ではない。あくまでもあの本は、あの学者の本だ。わしが書いたわけでもないし、わしが書くようにと勧めた訳でもない。わしの考えや、言いたい事が書かれている訳ではないからな」と。
したがって、この物語は、彼が言いたい事、主張したかった事、説明して理解してほしかった事などが、エピソードのあちこちに散りばめられていると思う。
彼に限らず、彼等インディアン達が置かれていた境遇や、政府の横暴さ、また自然破壊と、地球規模の環境問題、特に彼はとどまる所を知らない開発という名のもとの、山を削ってしまうその行為が許せなかったようだ。
そして、今、地球が破壊されるのか、平和な星になるのかは白い人が鍵を握っているのだと言っていた。
十五年前にその話を聞いた時には、たしかにアメリカに於いてはそうだがと思っていたのだが、世界情勢を改めて見てみると、確かにそうかも知れないと思うのだ。
中国が開発を進めて、経済活動を盛んに押し進めている。
中東ではイスラム教の国々とキリスト教の国が未だに争っている。
宗教と石油の利権がかかった争い。
そんな時、利権のためではあるが武力介入しようとするアメリカ。
それに対して反対の立場を取る白い人の国。
賛成する白い人の国。
地球を破壊しつくす事ができる核兵器が散らばって有る中で、白い人達の国が、それを使わせまいとしているのは良く分かるし、白い人の国がそれを使ってしまえば最早そこまでだ。
いずれにしても我々日本人が鍵を握っているとは思えない。
北朝鮮や中国でもないだろう。
アラブ諸国だろうか。
仮に中国や、インドや、シリア等が核兵器を使いそうな危機的状況が勃発したときには、白い人の国々は全力で阻止するための戦いへと突き進むのだと思う。
そうした白い人達を啓蒙しようとしていた老人は正しいと思うのだ。
そして我々日本人も、白い人達に平和な解決へと繫がって行く道を説く役目をインディアンと共にやって行くべきなのだと老人は考えていたのだと思う。
彼は日本人が好きだったし、無条件に同胞だと思っていたのだ。
そんな彼には、遂に「伐採された木々の殆どは日本の商社が買い付けて日本へ送られるのだ」とは言えなかった。
もちろん、彼はそんなこと百も承知で、だからこそ、この本を日本で出版しようとしたのかも知れない。
日本人もインディアンによって啓蒙される必要があると思ったのか。
残念な事ではあるけれど、経済活動といえば日本だったもんな。
するとやはり、今度はブラジルや中国にも自然破壊をやめるような働きかけをしなければならないのだろうか。
環境会議でブラジルがやり玉にあがった時に言った言葉が印象的だ。
嚙み砕いて言うと、「ずるいよ君達。さんざん自分達は空気を汚しておいて、そうして豊かになっておいて、私達が同じ道を通って豊かになろうとするといちゃもんつけるなんて」すると中国やフィリピンなどが「そうだ、そうだ」と賛同していた。
後進国とされている国からみたら、先進国が自分達の邪魔をしているようにしか考えられないのだ。
なぜ森が無くなって行くのだろう。
それがお金になるからだ。
であれば、森を残すことがお金になるようにすれば良いと思うのだが。
原生林を持つ国に原生林を持たない国が、そこに生えている木々を伐採して得る以上の金額を払うようにすれば良いと思う。
オゾン代だ。
先進八カ国がそれ以外の国に対して、それぞれの国が保有している森の量をオゾン量に換算して、料金を払う。CO2の枠を売買し合うよりよっぽどまともだと思う。
森がなくなるとどうなるかという事を声高に叫ぶ時はもう終わって、次にはどうしたら森を減らさずに増やす方向へ持って行けるのかを考えて行動に移す時がきていると思うのだが。
例えば自分が莫大な金額で売れる物を持っていたとする。
しかし、それを売ってしまうと北極のオゾンホールが大きくなると言われるとする。
オゾンホールの危険性をいくら説明されても、自分がその下に住んでいるわけでもなく売れば莫大なお金が手に入る物を持っている。
そうしたら売ってしまうと思うのだ。
しかし、売るなと言ってきた人が、「それを売らなかったら、売って得ると同程度かそれ以上の金額を払おう」と、申し出たら迷う事無くその物を大切に保管しておくと思う。
世界のためだと余裕の笑顔で言えると思う。
それが今のブラジルなどの立場なのだ。
一方で北欧などの白い人の国では、伐採する業者が伐採する以上の森を育てるやり方に変わりつつある。需要があるかぎり供給が必要であるし、しかも森をたやさずに供給するやり方だ。
白い人は確実に精神的成長をしている。
ただ、そうでない白い人も大勢いる。両極端であるように思える。
しかし、我々日本人はどうなのだろう。
山を切り開いて、造成地にしたり、ゴルフ場建設をしたり、やりたい放題だ。
森を守りながら林業を営んでいる業者も勿論存在する。
むしろ、林業とは関係のない業界が山を壊しているのだ。
そうした業界は山で生計をたてている訳ではないので、山や森を孫の世代に残す事など、これっぽっちも考えていない。
日本はそうとうまずい事になっているように思う。
老人は、半ばあきらめていたようにも見えた。
ただ、彼があきらめてしまうと、その仕事はグレイト・スピリットに引き継がれてしまう。
天変地異だ。
それは困る。
彼が最後にして見せていた事は、自分の身の回りの環境を整えるという事だった。
それが答えであると私は思う。
地球上全ての人が、せめて自分の身の回りの環境に気を配れば、地球の環境は保たれるだろう。
つまりは個人個人の気づきと行動なのだ。
行動が伴わない気づきは、気づきとは呼べない。
それに従って動いて、初めて気づきと呼べるのだ。
がんばらなきゃ。
みんなでインディアンの道を歩もうよ。
Sunbeam
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